その日も、私はカレンダーを睨んでいた。
年度末まで、あと僅か。
部長に「年度末に間に合わせます!」と
鼻息荒く大見栄をきった手前、
私は何としてでも、今月末にeラーニングの
コンテンツ追加を仕上げたいと思っていた。
コンテンツ制作には、
細かいスケジュール管理が欠かせない。
私は、それまでの紆余曲折で、
気持ち、気合い、配慮といったものだけでは
締切を守ることはできないと学んでいた。
作業工程を積み上げ続けるのではなく、
小さなゴール日程をしっかり明示して取り組む。
それが、原稿作成者にも、自分自身にも
締切を守らせるコツ…のはずだった。
しかし、今回のコンテンツ原稿の回収は、
なかなか捗らなかった。
メールと電話と遠慮を織り交ぜながら原稿作成を急かすが、
このままでは間に合いそうにない。
<セオリーも経験も活かして、がんばってるのに…>
年度末は、刻一刻と近づいていた。
良い方策は思い浮かばないまま、
私は、目標と現実の間で板挟みになっていた。
一週間後、私は部長の席に報告に行った。
ひとつの項目が、明らかに間に合わないとわかったのだ。
私が悔しい気持ちを押さえて、歯切れ悪く報告するのを、
部長は穏やかに「ふん、ふん」と聞いていた。
思ったより厳しい顔をされなかったことにホッとしながら、
私はモゴモゴと続けた。
「いけると思ったんですけど…思ったより原稿を出してもらえなくて…」
その瞬間、部長の目が鋭く光った。
かつて聞いた先輩の話が、頭をよぎる。
『俺さ、自分ができていないことを、人のせいにしたことがあってさ。
その時は相当怒られたよ。ま、当然なんだけどね…』
<ヤバイ…!>
人のせいにして言い訳をした自分に気づき、
顔からさっと血の気が引く。
部長からは何も言われないまま、臨時報告は終わった。
私は逃げるように部長の席を離れた。
自席に戻った私は、激しい後悔に襲われた。
部長の鋭い視線が、まだ私を責めているように思えた。
<先輩のアドバイスを聞いて以来、気をつけていたのに…>
後悔先に立たず。
このまま感傷に浸っていても、埒が明かない。
私は、またNLP手法※ に則り、
第三者として、自分にインタビューすることにした。
Q.人のせいにして言い訳したくなったのは、なぜ?
A.がんばっていたのに、できなかったから。
Q.がんばったのに間に合わなかったのは、なぜ?
A.結局、作業時間が予想を超えていたのだと思う。
Q.事前に予測した作業時間の方に、問題はなかった?
A.そういえば、どんぶり勘定をしたような…
Q.緻密に正しく予測することを邪魔したのは、何だろう?
A.間に合わせたい気持ち? 結構前から、部長に「年度末」と言われてたし。
途中で項目が追加になっても、「それもイケます!」と言いたくなってしまった。
Q.なぜ、そのような大見栄をきりたくなったのだろうか?
A.途中で追加されても、キーポイントの「年度末」に合せて、
まとめてドーンと出来上がるとカッコイイ!…と思ったんだと思う。
Q.大見栄をきったときは、本当にできると思っていた?
A.なんとなく「がんばればできそう…よし、やろう!」という流れにしてしまった。
…そういえば、「年度末までに全部やります!」と言った時、部長が一瞬、
微妙な表情してたなぁ…
そこまで自分インタビューをシミュレーションしてみて、
私はやっと、自分が作業時間の再計算を飛ばしていたのだと気づいた。
途中で追加なんて入れば、計算が狂うのは当然だ。
だが、「年度末」を歪んだフレームでとらえたために、
それがもう、あたかも最優先事項のように思い込んでしまっていたのだ。
週の明けた月曜日、
私はいつものように部長に進捗報告をしていた。
今度はキッパリと言う。
「先の件、不測も含めて試算が甘かったです。
年度末というキーワードに気をとられ、計算を間違えました。
次は、作業時間の算出をもっと綿密に行います」
部長は軽く頷くと、口を開いた。
「別件と併せて、その次の月末までには終わらせましょうか」
また新たな締切が降ってきた。
私の頭の中には、新たなスケジュール表が浮かんでいた。
ricoの締切は続く…。
※【NLP】神経言語プログラミング:Neuro-Linguistic Programming
日々なんとなくしている「○○すると□□になる」という人の脳の働きをプログラムとしてとらえる。
・ 場面の違いがプログラムに影響する
・プログラムに問題がある場合、何らかの意味が追加されている傾向がある
参考文献「心が思い通りになる技術: NLP:神経言語プログラミング」原田幸治 (春秋社) P156,163