30年続いた「平成」が、今年の4月をもって終わりを迎えます。「あの頃はまだ学生で…」などと昔を懐かしむ人、新元号当てクイズで盛り上がる人と、さまざまなカウントダウンが始まっているのではないでしょうか。
さて、今回は「ソルクシーズ平成史」と題しまして、平成元年に内定をもらった編集長「れい」秘蔵の社内報と証言を元に、激動の30年を振り返る次第であります。
秘蔵の社内報。第1号は昭和62(西暦1987)年発行。表紙は(当時)社長の似顔絵
さっそく、平成2年(1990年)入社の新人がどんな環境で仕事をしていたのかを確認してみましょう。
「当時の社名はエポックシステム。PCがひとり1台なかった時代。マシンルームにワークステーションが並んでおり、コンピュータで作業をするときだけ入室していました。手書きのプログラムをパンチャーさんが打ち込んでフロッピーに保存し、マシンにダウンロードするという手順でした。プログラム入れ替えのために、フロッピー1枚をカバンにしのばせ、新幹線で出張していました」
インターネットどころか、個人用のPCすらなかったんですね。
時代はバブル末期、社内旅行が海外は割とフツー。この年の新入社員歓迎イベントは、当時の流行りの「東京湾デイナークルーズ」でした。
個人情報保護法なんてものがない時代の社内報には「新人紹介」「結婚しました」「赤ちゃんが生まれました」などのコーナーがあり、社員の笑顔とプロフィールを掲載。「好きなタイプは賀来千香子さん」などのコメントが並んでいました。今、こんな情報を公開するのは絶対NGですね…(遠い目)。
平成2年(1990年)には社員208名だったソルクシーズ(当時社名:エポックシステム)は、SMAPがCDデビューした平成3年(1990年)には60名以上の大量採用を実施(子会社含む)。
お客様とのコミュニケーションは電話で、出張時にはポケベルを持たされ、分厚い時刻表で調べた新幹線の時刻を手帳にメモしていました。
社内報表紙に突然!現れた 「(自称)会社マスコット:エポキュー」。作成者は当時の社員と思われるが詳細は不明
やがてバブルが弾け、平成6年(1994年)には「就職氷河期」という言葉が流行語に。Jリーグは2年め、プレステとセガサターンが大人気だった頃ですね。懐かしい…。
池袋の水族館や六本木のライブハウスで華やかに新人歓迎会をしていた時代は終わり、もつ鍋ブームなど「お得」「お値打ち」がもてはやされた頃でした。2月に「Yahoo!」が誕生し、インターネットが急速に広がった年でもありました。
製造業や通信業界向けのプログラム開発のプロジェクトに参加していた「れい」は、PCが足りない職場で昼夜2交替勤務となり、夜勤時には同僚たちと「夜12時になると、東京タワーの明かりが消えるんだよ!」とはしゃいでいました。
阪神大震災やオウム事件が話題となった平成7年(1995年)、エポックシステムは大門から品川にお引越し。「Windows 95日本語版」が11月に発売となり、多くの会社で「ひとりPC1台」が普通になりつつありました。
マルチメディア推進室の社員が「インターネット利用を拡大させよう」と語っていた社内報は、平成8年(1996年)に廃刊。
新人教育担当になった「れい」は、「COBOLを覚えましょう」「LANのコネクタを作ってみましょう」と、懐かしいカリキュラムを指導していました。
エポックシステムは、平成10年(1998年)にトータルシステムコンサルタントと合併し、エポック・ティーエスシーに商号変更。
PC、携帯電話とインターネットが急速に普及し、平成11年(1999年)には2ちゃんねる、iモード、着メロがブレイクします。
1990年代の最後に到来したITバブルは、平成13年(2001年)に終わりを告げました。エポック・ティーエスシーが「ソルクシーズ」という社名になったのは、この年の4月。3ヵ月後の7月には、JASDAQ市場に上場しました。
次回は、さまざまな領域に事業を拡大した【平成中期】を紹介します。